2026年6月18日〜27日
昔駐在していたドイツのシュトゥットガルトを再訪した。
ずっと行きたかった。やっと行けた。20年ぶりである。
ドイツに家族と共に住めたのは、わずか2年程度だったのだが、その2年間のドイツでの豊かな生活が私の人生観を大きく変えた。
それまでは、日本でちゃんと寝る時間もないような仕事ばかりの生き方をしていて、それで仕方ないのだ、と思っていた。
だが、ドイツの人たちの生き方を知って人生観が根底から変わった。
まず残業など一切しない。だいたい15時くらいからみんなどんどんオフィスからいなくなってしまう。もっとも朝は早くに来て、人によってはランチ抜きでリンゴをかじりながら集中して仕事をしている。
さっさと帰ってしまうので、同僚と話したいと思っても、午後の遅い時間に同僚の部屋に行ったのでは、もう部屋には誰もいないということがしばしば起きる。
一度、金曜の17時頃にオフィスで仕事をしていたら、携帯が鳴り、出ると家の隣人で、「これからビアガルテンに行ってビールを飲まないか?」と。「いや、まだオフィスで仕事してるんだ」と言うと、「金曜の夕方に何で仕事なんかしてるんだ、今すぐ帰ってこい!」と言われ、ダッシュで帰宅したことがある。
夏の休暇は3週間取って当たり前。最初の1週間で今までの疲れが出て、次の1週間でやっと休みモードになり、最後の1週間で本当に休みを楽しむのだ、と言われた。4週間取る人間もいるので、正直、日本人の感覚では、7月から8月にかけては仕事にならない。
他にも、冬のスキーシーズンには通称スキー休みがあるし、なんだか仕事の合間に休むのではなく、休みの合間に仕事をしているように感じた。
それでもドイツという国は経済も強い(最近は苦しんでいるが)。欧州の中心をなす国である。
一体どうなっているんだ?
日本人はあんなにあくせく働いているのになぜこんなに違うのか?
いつか日本人もこんな豊かな生活を送れるようになるのだろうか?
それまで日本を基準に考えていたが、日本がおかしいのでは?というように思うようになった。
子供の頃から自動車が好きだった私にとってはメルセデスやBMWを生んだドイツは憧れの国だったが、実際にその国に住んで、人生観も根底からひっくり返って、さらにドイツファンになった。
だが、せっかく行ったドイツでの仕事はうまくいかなかった。当時取り組んでいた新規事業には、赴任後一年も経たないうちに暗雲が立ち込めはじめ、赴任後わずか2年で私は家族共々、別の国に異動することになった。この「都落ち」はきつかった。
今までの人生で掛け値なく一番楽しかったプライベートの思い出と、
一番辛かった仕事の思い出がある国、
ドイツ。
そのドイツに20年ぶりに再訪して自分の人生の棚卸しをしてきた。
特に仕事については、当時色々な事情がありドイツ人の同僚にきちんと挨拶も出来ずにドイツを去ったために、自分の中でずっと中途半端な状態を引きずっていたが、今回やっと、その中途半端状態に一応の蓋をして当時の自分の(仕事の)葬式が出来たような気がした。
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いよいよミュンヘン空港に着陸だ。ドイツの大地が見えてきた。
パッチワークのようなこの景色が大好きである。

ミュンヘン空港は仕事の出張のトランジットでずいぶん使ったが、大きすぎずコンパクトなちょうど良いサイズでお気に入りだ。
ヨーロッパを熱波が襲っており、ドイツとは思えない気温の高さである。

ミュンヘン空港からレンタカーで出掛ける。我が街、シュトゥットガルトまではミュンヘンからアウトバーン(高速)を飛ばして約2時間である。

実は今回の旅の最大の心配は、果たして久しぶりに左ハンドルの車を運転出来るか?ということだった。ドイツ生活から離れてすでに20年、最後に左ハンドルの国で運転したのは18年くらい前だ。
しかし、おっかなびっくり運転し始めたら、意外にもあっさりと運転出来た。
これならまだまだヨーロッパを車で旅することが出来るなとホッとした。
もっともまさかドイツで中国車のBYDを運転するとは思っていなかったが。レンタカー会社の駐車場にはBYDがたくさん停まっていた。僕らを担当してくれたおじさんに「BYDばかりだね」と聞いたら「安いからね」と。
懐かしの我が街、シュトゥットガルトの標識が見えてきた。この「A8」は良く走った高速だ。

20年ぶりにアウトバーンを走ってショックだったのは、速度制限をみんなが守らなくなったことだ。
アウトバーンには速度無制限の区間があるがインターチェンジが近づくと、120km、100km、80kmと制限速度の標識が出てきて、昔はその制限速度に合わせるべくブレーキを踏む車がいるくらいで、なんで見通しの良い高速のこんなところでブレーキを踏むんだ!?と最初は驚いた。
そして、インターチェンジを過ぎると、今度は100km、120km、と制限速度が変わり、速度制限無しの標識が出るとみんなアクセル全開で一気に200kmくらいに加速してぶっ飛ばして行く、という運転スタイルを見て、これが有名なドイツのアウトバーンか、この環境だから直進性能に優れ高速で走ると地面に張り付くように安定するドイツ車が生まれたんだな、と納得すると同時に、制限速度をカチッと守るドイツスタイルはすごいなと感心した。
ところが20年経って変わってしまった。ほとんどすべての車が制限速度に関係なく走っている、日本の高速と同じ感じだ。制限速度に合わせるべくブレーキを踏むドイツスタイルが好きだったのだが。
しかし、いまだに緊張したのは、速度制限なしの区間で、追い越し車線に出て前の車を追い越す時だ。私の場合、普通は走行車線を130kmくらいで走り、追い越す時は150kmくらいに加速して追い越し車線に入るわけだが、あらかじめ良く後ろを見ていないと、1加速して追い越し車線に入っても、後ろから200kmくらい(オーバー)で爆走してくる車がいると、あっという間に後ろにピタッと着かれてしまい、慌てて、ゴメンゴメン邪魔だったね、と走行車線に戻ることになるのだ。
この緊張感は日本の高速ではない。別にポルシェでなくても、普通のフォルクスワーゲンでもそういうスピードでぶっ飛ばしている。この点は昔と変わらずだった。
しかし、久しぶりにアウトバーンを走って、この高速の路面の良さ(平らで凸凹がない)をすごく感じた。比べてしまうと、日本の高速は路面が悪い。やはり、これくらいの路面の良さがないと、時速200kmで安定して走れないなと思った。
途中のサービスエリアで休憩。そうそうこんな感じだったな、と昔を思い出した。


小腹が空いたので、久しぶりにドイツ名物のカリーブルストをドイツで食べたが、味が単純で濃過ぎてやはり美味しくなかった。予想通りで、ああドイツに来たな、となんとも懐かしい。日本のクリスマスマルクトで売られているカリーブルストはとても美味しいのだが。

シュトゥットガルトの空港まで来た。もう我が街である。

真っ先に向かったのは、昔住んでいた家である。
全くと言って良いほど変わっていなかった。良かった、昔のままで変わっていなくて。

↓これは当時の写真である。季節は2月か3月。

家の周囲の木や植栽が大きくなっていた。
昔はこんなにこんもりしていなくて隙間だらけだった。

↓これも当時の写真だ。季節は4月。
家族が後から子供の学校の開始時期に合わせてやってきて、通学初日の写真である。
息子は幼稚園から小学校に上がる日なので特におめかししている。

入口も全く変わっていなかった。2階には、当時と同じ家族がまだ住んでいるようだ。ネームプレートを見てわかった。我々と入れ替わりに入居したはずのドイツ人家族の名前はなかったので引っ越してしまったようだ。彼らは、我々が使っていた家具をかなり買って引き継いでくれたのだが。

ドイツで家を借りる時に驚いたのは、家具付きの家がほとんどなく、基本的に家具無しなので全て自分で手配しなければ生活出来ないことだ。。
この毛布↓は私が家族より先にドイツに着いて家のセットアップをする時に、まずIKEAに行って買った毛布だ。ソファはどうして手に入れたのか忘れたが、最初はソファの上でこの毛布にくるまって寝ていた。
この毛布にはドイツの思い出が詰まっていていまだに使っている。
しかしIKEAにはお世話になった。この家の家具のほとんどはIKEAで買った。当時日本にはIKEAがなかったので、初めて行った時は結構感動した。

家にはキッチンもないので自分で手配しなければならない。
キッチンもないのか、とこれにも驚いた。
聞くと、普通はキッチンスペースのサイズに合わせてオーダーメイドで作るらしい。そんな経験ないので途方に暮れて、知り合ったばかりのドイツ人の同僚に相談したら、俺の知り合いに良いキッチン大工がいるから、そいつと一緒にあなたの家のキッチンを作ってあげますよ、と言ってくれた。
↓これは、同僚とキッチン大工と手伝いに来てくれた大工の息子の3人だ。このキッチンの色は同僚が勧めてくれたのだが、とても良い色で気に入っていた。
この家を出なければならなくなった時に、このキッチンのことが気になっていたのだが、入れ替わりで入居した若いドイツ人夫妻が買い取ってくれることになり、廃棄したりしなくて済んでとても安心したことを覚えている。

裏側にあるゴミ置き場と駐車場の入口も全く当時のままだった。私が運転する会社の車は外に路駐して、妻が運転する自分の車をこの駐車場に置いていた。

この家がとても気に入っていたので、当時のままの姿に再会できて本当に良かった。
これは当時、家の前で12月に撮影した家族写真だ。子供たちも小さかった。

次に向かったのは家のそばにあったショッピングモールだ。
お気に入りだったドラッグストア。

「買い物ランド」というすごい名前のスーパー。
品揃え等は昔とあまり変わらなかったけど、肉は以前より美味しそうな感じに陳列されていた。

時々利用していた、中華的なアジアンフードの店とケバブの店。ドイツはトルコからの移民が多かったのでケバブの店は多かった。二つとも昔は間口がもっと狭くて小さい店だった。

この日は当時のお隣さんが夕食に招いてくれた。今も昔の家のそばに住んでいる。


彼女は離婚して今は当時の夫と一緒ではない。その後出会ったパートナーとの間にこの娘が生まれたが、その彼とも別れることになってしまった。彼女もこの20年の間にずいぶん辛い思いをして今に至っている。私の妻がずっと彼女と連絡を取り合っていたのだが、数年前に私の娘がドイツを再訪して彼女と再会したあたりからやり取りが頻繁になり、1年半前は彼女が娘を連れて日本にやって来て、今年は我々がドイツを訪れて、また会うことが出来た。お互い年を取ったがこうやってドイツで一緒にいると、我々もまだドイツに住んでいるような錯覚に陥る。彼女たちがお隣さんで色々と親切にしてくれたことで、我々はドイツの人たちの輪の中に入れてもらえて、ドイツの暮らしを良く理解出来るようになり、それが私の家族全員がドイツを大好きになった大きな理由のひとつであるのは間違いない。とても貴重な財産である。
今回はショッピングモールの向かいにある小さなホテルに泊まることにした。昔はこんなところにホテルがあるなんて知らなかったが、昔の家の周辺の思い出の地を巡るには最高のロケーションで、街中から離れているので安くて円安の時代に助かった。

これは↓当時の写真だ。写した角度がちょっと違うが、ショッピングモールの外観はちょっとデザインが変わっているがほとんど同じままであることがわかった。


翌日は土曜日。
ショッピングモールに隣接する広場でマルクト市場が開かれる日なので朝から出かけた。当時、家族で良く来た。マルクトの人たちはみんな子供に優しくて、ウチの子供たちは、パンやらチーズやら果物やら、行く店行く店でちょっとずつ色々いただいて、それを食べるだけでお腹一杯、朝食終了という感じだった。小さい子供を連れていると色々なところで親切にしてもらえて、そこで地元の人たちとの会話も生まれて、とてもありがたかった。


シュパーゲルがまだ売られていた。

パン屋(ベッカライ)にみなさん並んでいる。
先頭から3番目に並んでいる女性が持っているドイツ製の買い物カゴは非常に良くできていて、我が家もドイツで買った赤と青の二つを持っていていまだに使っている。ドイツでもいまだに持っている人が結構いてなんだか嬉しかった。

チーズ屋さん。

メツゲライは肉屋さん。最初はメツゲライって不思議な言葉だなと思った。
女性が自転車を停めているが、昔もヘルメットは必着だった。またこの後輪にまたがる荷物入れもドイツらしさを表していてなんとも懐かしかった。昔と変わらない。

マルクトで買い物を終えたら、ホテルにいそいそと戻り、

部屋でコーヒーを淹れて、マルクトで買ったもので朝食である。なんだか、ドイツに住んでいるような気分になってなんとも幸せである。

その後は、当時のお隣さんと一緒にドイツの春の風物詩、シュパーゲル(白アスパラ)を食べに行った。

昔、何回か行った店に行ったのだが、すっかり立派な大きな店に改装されていてビックリ。当時は、シュパーゲル畑の横に建てられた小さな小屋みたいな感じの店だったのだが。

今年のシュパーゲルは6/28までとのことでギリギリだった。
こちらの人は普通白いオランデーズソースをかけるが、私達にはこってりしすぎているので、さっぱりしたソースを選択した。本当は良く冷えた白ワインと一緒にいただきたいところだが、車の運転があるので残念。実は、白アスパラは天ぷらにすると最高に美味い。



シュパーゲルを食べた後は近所の湖に散歩に行った。このお隣さんに教えてもらって昔よくきたところだ。


お隣さんと別れてこの日は地元のビアガルテンで軽い夕食を取った。
初めて行くところだが、お隣さんに「地元ならここが美味しい」と教えてもらったところだ。
飲みたかったヴァイツェンビールを頼んだら、SANWALDのグラスに入って出てきた。ヴァイツェンはドイツに行って初めて知ったビールで、すっかり大好きになった。日本でも飲めるがすごい高いので、最近は飲んでいなかったが、やはり美味い。

食べたかったジャガイモのサラダとシュニッツェルを頼んだ。この店のシュニッツェルは軽くサクッと揚がっていてとても美味しかった。さすがお隣さんの紹介だ。彼女の味覚は、普通のドイツ人と異なり、日本人に非常に近い。

どんどん近所の人たちが店に入ってきて地元の人気店なのが分かった。店のテレビではサッカーのW杯が中継されていた。

思い返せば、私たちが昔いた20年前は2006年のドイツでW杯が開催された時だった。W杯のチケットは当たらず取れなかったが、事前に行われたコンフェデレーションカップの日本とギリシャの試合を観戦に行ったことを思い出した。

翌朝は当時私が仕事をしていた会社を訪ねた。行き方も当時と同じ道で、アウトバーンを通って行った。途中、この景色は当時のままだ、良く覚えている、という場所がいくつかあり、この道を運転しながら仕事のことで悩んでいた当時の記憶が蘇って来た。
行ってみたら周りにはオフィスビルが増えていて景色がずいぶん変わっていた。だが、当時の私の会社のオフィスビルは全く変わっていなかった。日曜なので会社の人はいないし、中に入れるわけでもないので外からオフィスのビルを眺めるだけだ。工事をしているようだったが、ビル前の駐車場も当時のままで、昔私が車を停めていた場所にこの日も車を停めた。


当時はオフィスの周囲はまだ草原が残っていて、こんな感じで羊がいて、オフィスを見せに連れて来た子供たちも大喜びだった。部屋からも美しい自然が広がる景色が見えて、日本のオフィスとは大違いで、ここでずっと仕事が出来たら良いのにな、と思っていた。



来る前にwebsiteを見たりして調べてきたのだが、幸いこの会社は現在も昔と同じ業態でしっかりと存続しているようだ。入口のガラスドア越しに内部を眺めてみたが、中のレイアウトも大きく変わっていないように見えた。
昔のままのオフィスビルで、今もきちんと存続している姿を、この場所に立って、この目で見ることが出来て良かった。この会社や従業員の人たちには悪いことをしてしまったなと思うところが色々あり、ずっと整理しきれない気持ちを引きずってきたが、再訪して健在な姿をこの目で見ることが出来て、気持ちをかなり整理することが出来た。
懐かしみながらオフィスの周囲で写真を撮っていたら急に涼しい風が吹いて来てトイレに行きたくなった。車のナビで近くのガソリンスタンドを探してたどり着いたら、なんと昔よく使っていたARALのガソリンスタンドだった。ここも変わっていなかった。このガソリンスタンドに、おい、俺のことを忘れてるんじゃないか、ちゃんと顔を出せよ、と呼ばれたようでなんだか不思議な気持ちだった。

これでドイツのシュトゥットガルトに来てまずやりたかった人生の棚卸しはほとんど出来た。
来れて良かった。
後日談がある。
私たちが帰国して1ヶ月後にお隣さんの息子が日本に遊びに来て、ウチに泊まっていった。
最初の夫との間の子供で、ウチの子供たちと同じような年齢で、当時、良く一緒に遊んでいたので、ウチの子供たちも呼んで再会を果たすことが出来た。
彼の彼女がなんと大の日本のアニメ好きとのことで、今度は彼女を連れて日本に来るであろう。
20数年前のドイツでのご縁が続いて、今やまた広がろうとしている。
本当にありがたい話だ。
私たちも、第二の故郷であるシュトゥットガルトを訪問するのを今回が最後には出来ない。
次は70歳になった時にまた訪問しようと思っている。
おわり


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