フランク・ロイド・ライトが愛した大谷石 | 大谷資料館に行ってきた

2026年5月24日

アメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並んで「近代建築の三大巨匠」と呼ばれており、「帝国ホテル旧本館」の設計をしたことで有名だが、その際にライトが主要建材として採用したのが大谷石(おおやいし)である。

大谷石というのは、栃木県宇都宮市の大谷町(おおやまち)周辺でしか採掘出来ないのだそうだ。
栃木県に行く機会があったので、地下にある大谷石の巨大な採掘場跡である大谷資料館に行ってきた。

大谷資料館
石の町「大谷」 大谷石に育まれ発展した大谷。現在では、大谷石採掘も手堀りから機械堀りへとなり、昔と大きく変わってきています。この変わり行く大谷石採掘の姿を、手堀り時代と機械化になった現在の道具などを通して展示しております。 また、地下30m…

ライトが大谷石を一躍有名にした、日本における彼の最高傑作、帝国ホテル旧本館。↓
1923年に東京・日比谷に建てられた。緻密な幾何学彫刻を施した大谷石と、特注の黄色いスクラッチ煉瓦が見事に調和し「東洋の宝石」と称えられたそうだ。
写真は以下の帝国ホテルのサイトからお借りした。

Screenshot
The Wright Building | IMPERIAL HOTEL, TOKYO | Official Website
The Wright Building | Introduction to IMPERIAL HOTEL, TOKYO. The IMPERIAL HOTEL, TOKYO is a short distance from the shop…

フランク・ロイド・ライトが大谷石を好んだのは、彼の建築思想である「有機的建築(自然と融合する建築)」を表現するのに、以下の理由から、最も理想的な素材だったからとのことだ。

1. 独自の幾何学模様を刻める「加工のしやすさ」。大谷石は軽くて非常に柔らかい(軟質)ため、複雑な彫刻を施すことが容易だった。

2. 自然の趣を感じる「土に近いあたたかな質感」。大谷石には「ミソ」と呼ばれる茶色い斑点や、大小の気泡、ざらざらとした素朴な凹凸があり、「石でありながら土や木に近い」不均一であたたかみのある風合いが、彼の目指す「自然と調和する空間」に最適だった。

3. 空間に劇的な変化を生む「陰影の美しさ」。大谷石の多孔質(穴が多い)でマットな表面は、光を優しく吸収して柔らかな陰影(影)を作り出し、ホテルの照明や外光が当たったとき、明暗のコントラストに満ちた幻想的で深い空間を演出できるのが魅力だった。

4. その土地の文化をリスペクトする「日本らしさ」。ライトは世界共通の普遍的なデザインよりも、「その土地や地域に固有の建築のあり方」を大切にした。

当時、日本の格式高い建物には御影石(花崗岩)や大理石がもてはやされていたが、ライトはそれらをあえて選ばず、当時はまだ「蔵や塀の材料」に過ぎなかった大谷石に惚れ込み、日本の関係者からは「脆くてボロボロ崩れる石を、そんな高級ホテルの目立つ場所に使うなんて」と猛反対されたそうだが、ライトは自らの意志を突き通して内外装に多用したとのこと。

そして、なんと1923年のホテルの落成式の当日に、あの関東大震災が発生したのだが、ホテルは焼け残り、大谷石の耐火性の高さとともにライトの審美眼が証明されることになったのだそうだ。

大谷資料館に到着。↓

あの奥が資料館の入り口だ。↓

日曜でもあり、観光バスも来ていて、多くの人で賑わっていた。↓

自動販売機もトイレも大谷石仕様である。↓

大谷資料館。↓

この巨大な採掘場跡は色々な映画の撮影に使われているとのこと。↓
中に入って、なるほど、確かにこれは使われるな、と納得した。

これが採掘場への入口 ↓

大谷石がいつどのようにして生まれたのかについては諸説あるようだが、最も有力な説は以下とのことである。

・今から1500万年前(新生代第三紀中新世ごろ)日本列島の大半がまだ海中にあり、その一部がわずかに水面に出ていた時代に、地表面の裂け目から噴出した流紋岩質角礫(りゅうもんしつかくれき・砂と小石)や火山灰などが海中に沈んで凝固してできたというものである。
・大谷石とは、栃木県宇都宮市大谷町付近一帯から採れる流紋岩質角礫凝炭岩(ぎょうかいがん)の総称である。

その昔、手掘りの時代には、このように人が一本一本背負って搬出していたそうだ。一本で150kgとのことだ。

入口を入ってまず階段を下に降りていく。

下まで降りると、こんな景色になる。
エジプトのような雰囲気だな、と勝手に思った。ピラミッドは外からしか見たことがないのだが。

ライトアップされているので、なんとも幻想的である。

思っていたより若い男女が多く、どうやらこのあたりのデートスポットになっているようだ。

壁についたちょっと変わった縦のみぞは、丸鋸式平場採掘機で切り出した、機械化初期の掘りあととのこと。大谷地区では昭和35年に採掘が完全に機械化されたそうである。↓

この坑内は、年平均気温が7°C(最高気温は約13°C、最低気温は約2°C)で、冷蔵庫の室温とほとんど変わらない。
米がたくさん余った昭和45年には、坑内に約90,000俵の政府米が保管されたのだそうだ。現在でも、野菜やくだもの、ワイン、日本酒の貯蔵庫としても利用されているとのこと。

この日の坑内の気温は10℃。事前にウェブサイトを見たら、寒いので防寒上着が必要と書いてあったので、ライトダウンのハーフコートを持ってきて正解であった。

なお、戦時中は陸軍の地下倉庫として使われたり、中島飛行機の戦闘機「疾風(はやて)」の機体工場として利用されたようで、当時、他の地下工場や外につながるたくさんのずい道(トンネル)が掘られ、現在もこの奥に残っているらしい。

ドンペリニョン[P2]の日本発売日の前日に開催されたレセプションで、ゲストの皆様を撮影するためのフォトセッション用エンブレム、だそうだ。↓

セーラー服と機関銃  太っちょ(三国連太郎)に監禁され張付けされた星泉(薬師丸ひろ子)↓
そんな昔から映画の撮影に使われていたのかと驚いた。

るろうに剣心 志々雄と斎藤隊長との対決で燃え盛る櫓 ↓

この「るろうに剣心」はたまたま見たことがあり、あのシーンは印象的で覚えていた。
てっきりセットを作ったのかと思っていたが、ここで撮影したのか。

この正面から外交が入っている坂道が、「るろうに剣心・京都大火編」の櫓を組んで撮能が行われた場所、との説明書きがあった。

スイス高級時計オメガ社のレセプション ↓
こんな寒いところでレセプションをやったのか?
たしかに幻想的でインパクトあるが、ゲストのために暖房でも持ち込んだのかな。

BMW i8 ENERGY MOTOR SPORT の撮影 ↓

赤いオブジェが映り込んでいる手前の部分は水なのだが、地上から流れ込んで溜まった雨水だそうで、最も深い部分で水深が30メートルもあるそうだ。↓

ライトが好んだ「陰影の美しさ」というのは確かに納得できる。↓

見学終了。

想像以上に大谷石に魅了されてしまった。
フランク・ロイド・ライトが愛した理由というのも良くわかる気がした。

杉本博司さんの江之裏測候所を以前に訪れた時にも感じたのだが、最近、石の美しさに惹かれる。

小田原文化財団 江之裏測候所① | 自然とアートの融合
日曜美術館で見て、ここは絶対に行きたいと思っていた。まさに自然とアートの融合。目玉のひとつは、夏至光遥拝100mギャラリー。夏至の朝、海から昇る太陽光がこの空間を数分間駆け抜けるのだそうだ。カッコイイ。石も美しくてずっと見ていたくなる。

大谷石の利用と採掘の歴史は非常に古く、およそ1300〜1400年前(古墳時代後期〜飛鳥時代)から石材として切り出されていたことが分かっているとのことで、古墳時代には、柔らかく加工しやすい特徴を活かし、この地域に造られた古墳の「石室(棺を納める部屋)」の建材として使われていたらしい。

大谷資料館のある巨大な採掘場での採掘は1986年(昭和61年)に終了されてしまったが、現在も大谷石は、大谷町周辺で採掘されているとのことだ。ただし、最盛期に120以上あった採掘企業は、現在はわずか4社にまで減少していて、採掘現場も地下数十メートルから100メートル以上の深い坑道が主流のようだ。

ライトは日本の「浮世絵」の熱狂的なコレクターであったようだ。
日本の自然観や伝統建築(障子を通した柔らかな光など)に深い敬意を払っていたとのことで、だから、大谷石という日本古来の素材に興味を持ち、惚れ込むことが出来たんだなと納得できた。

ライトの建築はアメリカで世界遺産に登録されているが、アメリカ以外でライトの建築を見ることができるのは日本だけなのだそうだ。

フランク・ロイド・ライトがどういう人だったのかや彼の名建築については、もっと知りたいなと思う。

ライトが手がけた、帝国ホテル旧本館の中央玄関部分は、愛知県犬山市にある博物館明治村に移築・保存されているのだそうだ。

名古屋に行く機会を作って、「東洋の宝石」と呼ばれた美しい大谷石建築を見に行かねばならない。
行く前には、以下に挙げられているような本でもっと勉強しなければ。

実は大谷資料館に立ち寄ったのは、友人に誘われたからだったのだが、ひょんなことから、大谷石→フランク・ロイド・ライトと世界が広がってきてなんとも楽しい。

感謝である。

おわり

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