2026年8月9日
お盆は奈良の義父母と一緒に過ごすことにした。
昨日は、奈良に移動する前に、京都から山崎に移動して、大山崎山荘美術館を楽しんだ。

今日は、大阪・天王寺の「あべのハルカス美術館」で「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」を観にいった。
この展覧会は東京では開催されない。でも、この「跳ね橋」は観たい。
4月から6月までは宇都宮で開催されていたが行けなかった。
次の機会は7月から9月までの大阪・天王寺である。
天王寺にはちょっと思い入れもある。昔の尊敬する上司が天王寺高校卒業であったからと、息子の社会人最初の配属先が天王寺であったからだ。
ということでやってきた。あべのハルカスに来るのは初めてだ。

やはり、大阪まで来た甲斐のある展覧会だった。

モネの師匠、ブーダンの「ケリュオン、漁婦たち」1870年。

アンリ・ファンタン=ラトゥールの「シャクナゲの花」1874年。
解説によると、「春の花シャクナゲを三角の構図で描き、各頂点に開花状態の異なる花を配置して鑑賞者の視線を花から花へ導く。」のだそうだ。なるほど。

マネの「アスパラガスの束」。1880年。
面白かったのは解説である。
「際立った存在感を放つ本作は、マネの技量と晩年の到達点を示す静物画の白眉。価格より高く購入したコレクターの元に、画家本人から「束から1本抜けていました」とアスパラガス1本だけの絵が届いたという。そちらは今日オルセー美術館に所蔵されている。」
そちらも観てみたいものである。


この展覧会はこういう解説がためになって非常に面白かった。↓

ミレーの「横たわる裸婦」1846-47年。すごく印象に残った絵。
解説↓を読んで、たしかにミレーというと農民の絵という印象だったので、へ〜そうなんだ、と驚いた。
「ゴッホが強く共鳴した<種をまく人>など、自然の中で堅実に生活する農民の精神性を描出した作品を発表するのは1848年以降のこと。それまでのミレーは、ロマン主義とロココ様式を折衷した官能的な裸婦や、ナルシス・ディアズの影響を受けた神話画で知られていた。輝くような色彩と卓越した筆さばきは「華やかな手法」と呼ばれ人気が高かった。」


シスレーの「ハンプトンコートの橋」1874年。
「ハンプトン・コートはロンドンの南西に位置し、16世紀に建造されたイギリス王室の宮殿があることで有名。シスレーはここで17点の作品を描いたが、本作はその中の1点。手前を流れるのはテムズ川で、画面左端の橋が1865年に建造されたハンプトン・コート橋である。この作品は後に著名な評論家に「印象主義の完璧な瞬間」を記録した作品と高く評価された。」と解説に書かれていた。
たしかに「完璧な瞬間」かもしれないなと思った。

モネの「エトルタの浜辺の漁船」1883-84年。
「ノルマンディー地方の景勝地エトルタは、多くの画家たちの創作意欲を掻き立てたが、1883年にここを訪れたモネは、それから数年間にわたって繰り返しこの場所を描いている。激しく波打つ海と灰色の空の様子から、恐らく冬のエトルタを描いたのだろう。(後略)」
題材が冬の海だからだろうが、自分の中のモネの印象からすると強く激しい感じの絵だった。


アルマン・ギヨマンの「風景、ルーヴシエンヌ」1872年頃。
「パリ郊外のルーヴシエンヌは画家に人気の村であり、四季の風景を描くために度々芸術家が訪れた。人で賑わうのどかな村の様子を描いた作品が多い中、ギヨマンは憂鬱で物寂しい冬の村の様子を描いている。強いストロークと筆の赴くままにモティーフを描いた様子は、微かに仄暗い雰囲気を増幅させつつ画面に勢いをもたらしている。」
ギヨマンのことは知らなかった。なんだか非常に惹きつけられる絵だった。

ギュスターヴ・カイユボットの「コロンブの丘」1884年。
「(前略)プティ・ジュヌヴィリエ近郊の平原、緩やかなコロンブの丘陵地の上から眺めた風景をここでは描いている。地平線を望む風景の切り取り方と透視投影を用いた構図は強い奥行を感じさせ、優れた没入感を生み出している。」
カイユボットのことも知らなかったが、「没入感」と表現された上記の解説の通りで、ずっと観ていたくなるし、引き込まれるような感じの絵だった。

カイユボットの絵が2枚並べて展示されていた。
上は、「セーヌ河畔のボートと小屋」1891年。
下は、「セーヌ河畔」1891年。
解説に「<セーヌ河畔のボートと小屋>と対象的に、くセーヌ河畔>は落ち着いた色彩で描かれている。(中略)二点を比較すると、カイユボットの作風の幅広さをより理解することができる。」とあった。
こうやって並べて見せられると、たしかに全然雰囲気が違って面白かった。




これはロートレックの「漁船」1880年。
私はロートレックの「ムーラン・ルージュ」などのポスターが大好きなのだが、ロートレックの「絵」を観たのは初めてで、こういう絵を描いた人なんだ、と興味深かった。

ゴッホと共同生活をしていたこともあるゴーガンの「ブルターニュの少年」という絵。1889年
ゴーガンの絵はあまり好きではなく、この絵も観ていると気分が悪くなるような感じがするのだが、一方で、なんとも惹きつけられるものがあり、一度絵の前を離れても、つい振り返って観てしまう、というような絵だ。

そして、ついにゴッホの「跳ね橋」だ。1888年
「澄んだ青空の下に架かる跳ね橋。淡い空と対照的に、川岸には鮮やかな黄色や緑の筆触が重ねられ、画面に躍動感が生まれている。強い彩度の対比は、水面や橋にも反復されることで、全体に調和をもたらしている。1888年にアルルへ移ったファン・ゴッホは、この橋を繰り返し描いた。画家の感覚を通して、南仏の陽光あふれる風景はさらに鮮烈な色彩へと高められている。」
想像していたよりも、さらに明るい絵でキラキラしていた。
水面の黄色が効いているのが印象的だった。

面白かったのは、明るい「跳ね橋」と並んでいたのが、暗い色調の「ニューネンの農家」というゴッホの絵だったこと。1885年の作。
解説には「夕日か朝焼けか、あたたかな光を背に農家は逆光に沈む。抑制された調は画家の実直さや鬱屈した心情をにじませている。角張った木や屋根の筆致には、後年のファン・ゴッホの力強い厚塗りを予感させよう。(後略)」とあった。
確かによく観ると、光の感じは暖かく、タッチもゴッホらしいゴツゴツした感じがあった。

この暗い絵を描いた翌年の1886年に、ゴッホはオランダのニューネンから、弟のテオを頼ってパリに転居して、そこから印象派の画家たちとの親交が始まったとのこと。
そして、その2年後の1888年には、あの明るい「跳ね橋」が生まれたわけである。
この2枚の絵を並べて展示してあったことで、わずか数年の間のゴッホの大きな変化が非常によく理解出来た気がした。
さらに面白かったのが以下の解説だ。
自ら破壊してしまったとは、なんとももったいないが、ゴッホらしい気もする。


最後は点描派で締めくくられていた。私は点描画はちょっとやり過ぎのような感じがしてあまり好きではないのだが、明るさの追求という意味ではすごい技術だなと思うし、以下の解説もとても興味深かった。

ポール・シニャック、「サモワ、習作8番(サモワのセーヌ河)」1889年
「(前略)白い絵具の割合が高いほど厚塗りになっており、よりマットな質感をもたらしている。」と解説にあり、なるほどと思いながら観た。

ポール・シニャック、「カポ・ディ・ノリ」1898年
「地中海沿岸の光と色彩に魅了されたシニャックは、1896年にイタリアの地中海沿岸にあるノリや周辺の地域を訪れた。地中海の港の風景と古典的な構図、補色対比を用いた極限の色彩表現、正確に計算されたモティーフがバランスよく融合されていることから、作品に強い思いを抱いていたことが窺える。バランスの取れた構図が意識されており、点描技法へのこだわりを強く感じさせる。」

テオ・ファン・レイセルベルへ、「グリ=ネ岬、或いは夏の霧」1900年
「(前略)緻密な色の重なりや強調された輪郭からは、自然の豊かさや荒々しさを感じることができる。全体的に色調は統一されており、点描技法を際立たせた作品であると言えるだろう。」

点描画は、今まであまりしっかり観たことがなかったのだが、今回は解説を読みながら観て、ちょっと勉強になった気がした。
「本展は、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館・コルブー財団の改修中に、貴重な作品をまとめてお借りする機会を得て開催いたしました。」とのことだ。
ドイツ・ケルン最古の美術館で、2028年秋まで休館だそうだ。
この展覧会は絵の横にある解説が面白くて、私のような人間には、ためになった。
絵の並べ方も、対比を効かせていたりして、上手い見せ方をしてくれるな、と感心した。

さて、初めての「あべのハルカス」なので、絵を観た後は、当然展望台に上った。
夏休み時期に合わせて、コナンのスタンプラリーをやっていた。
思いがけず、神奈川県警交通機動隊の萩原千速にも会えて、千速ファンとしては嬉しかった。

おわり


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