国立西洋美術館と松方コレクション | モネを全て公開

2026年8月19日

この日は上野でアート三昧の1日だった。
午前中に東京都美術館で大英博物館の日本美術コレクション展を楽しんだ後、午後は、国立西洋美術館の常設展にやってきた。

今年がモネ没後100年であることを記念して、当館に収蔵・寄託されている19点すべてのモネ作品が「常設展示室」にまとめて展示される、というのだ。

【特集展示】クロード・モネ没後100周年|国立西洋美術館

「常設展示室」なので、観覧料は、一般500円、大学生250円、65歳以上や高校生以下は無料だ。さすが国立である。

会期は9月23日までとのことだが、後になると混んでくるので、早めに行ってきた。
ゆったり、じっくり観ることができて、とても良かった。

入口に「国立西洋美術館と松方コレクション」についての解説があった。

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▪️松方コレクションのなりたち

国立西洋美術館の設立の原点は、川崎造船所(現在の川崎重工業)や神戸新聞社などを率いた松方幸次郎(1866-1950)が20世紀初頭につくりあげたコレクションにあります。

松方幸次郎は、明治政府で総理大臣を二度つとめた松方正義の三男として、現在の鹿児島県に生まれました。アメリカのイェール大学を卒業した後、父・正義の首相秘書官などを経て、1896(明治29)年、川崎造船所の創業者・川崎正蔵から経営を引き継ぎ、初代社長に就任します。

以後、1928年に辞任するまでの間、同社を日本有数の重工業会社として発展させる礎を築き、とくに第一次世界大戦を背景とするストックボート(同一規格の輸送船)販売の成功によって事業を大きく伸長させました。

松方の美術品収集は1916(大正5)年頃にはじまります。
松方は、その後、10年ほどのあいだに、ロンドンやパリなどで現地の協力者たちとともに精力的に作品の購入を進めていきました。

イギリスとフランスの近代美術を中心としたそのコレクションは、絵画や彫刻、素描、版画から装飾芸術品まで幅広いジャンルからなり、地域や時代も多岐にわたります。総数は、フランスのコレクターから買い戻した8.000点におよぶ浮世絵を加えれば、1万点を超える規模でした。

松方の収集の目的は、日本で最初の西洋美術を常設展示する美術館をつくることにありました。

西洋美術を学び、理解することは、日本人が西洋の人々の精神や考え方を理解することにつながると考えていた松方にとって、美術館の設立は、ひいては日本の社会の発展にも結びついてゆくものでした。

当初は神戸に、やがて東京麻布の松方家の敷地での建設が目指されたその美術館は、「共楽美術館」と名づけられます。建物の設計をゆだねられたイギリス人芸術家フランク・ブラングインは、広い敷地に装飾芸術のための別館を備えた総合的な美術館の姿を描き残しています。

▪️国立西洋美術館開館まで

しかし、関東大震災とそれに続く昭和金融危機をきっかけに、1927(昭和2)年に川崎造船所は経営難に陥り、翌年、松方は社長を辞任します。

コレクションは散逸へ向かい、松方の美術館設立の夢はついえました。
日本に到着していた作品群は負債返済のために提供されて売り立てられていき、ロンドンの倉庫に預けられていた作品群は1939年の火災で焼失する不運に見舞われます。

一方、パリで保管されていたフランス近代美術を中心とする作品群は、第二次世界大戦末期にフランス政府に敵国人財産として接収され、サンフランシスコ平和条約によってフランスの所有となります。

吉田茂首相をはじめとする日仏政府間交渉の末、日本への寄贈返還が決まった370点ほどの「松方コレクション」を保管展示するための美術館として、1959年4月、国立西洋美術館は設立されました。

松方は、川崎造船所を退いた後、日ソ石油会社社長や衆議院議員として活躍していましたが、1950年6月にこの世を去っています。一度は消えた「共楽美術館」の夢がかたちを変えながらもようやく実現にいたった日を迎えることはできませんでした。(後略)

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この話については、原田マハさんの「美しき愚かものたちのタブロー」を読んで本当に感動した。

松方コレクション|国立西洋美術館②~ 原田マハの美しき愚かものたちのタブロー
アートの美しさと力。松方コレクションと国立西洋美術館を巡る、美しき愚かものたちのタブロー、は読み始めたら夢中になってしまう。 さすが原田マハさん。戦闘機でなく絵画(タブロー)を。戦争ではなく、平和を。なぜいまだに人間は戦争をしているのか。

ベリールの海、1890-91年、1966年度購入
こういう素描は保存上の観点から展示機会が限られるのだそうだ。

雪のアルジャントゥイユ、1875年、松方コレクション
とても好きな絵だが、解説を読んで、この一連の雪景色が18点あることを知った。
まとめて観れたらな。

波立つプールヴィルの海、1897年、松方コレクション

ヴェトウイユ、1902年、松方コレクション

睡蓮、柳の反映、1916年、松方幸次郎氏御遺族より寄贈(旧松方コレクション)

「晩年のモネはジヴェルニーの自邸の池のほとりにアトリエを設置して睡蓮の池とその周囲を題材とした「大装飾画」の制作に没頭します。これはやがて、高さ約2メートル、総延長90メートルを超える長大な<睡蓮>の大装飾画(オランジュリー美術館に設置)に結実しました。本作はそのうち<木々の反映>に関連づけられる作品で、柳の木が逆さまに映り込んだ睡蓮の池の水面が描かれています。1921年に松方がモネから購入したもので、当館に所蔵される<睡蓮>と同様、大装飾画の完成前にアトリエを出た例外的な存在です。

その後長くロダン美術館に預けられていた本作は、第二次世界大戦中にフランス北部の寒村に疎開し、おそらくその頃に大きく損傷しました。敵国人財産としてフランス政府によって接収された松方コレクションのひとつですが、戦後、その破損状態の甚だしさから作品として扱われず、返還作品リストにも、フランスに留め置かれる作品のリストにも含まれず、歴史の表舞台から消えていきました。2016年ルーヴル美術館のなかで発見され、2017年に松方家より当館へ寄贈されました。」

睡蓮、1916年、松方コレクション

この睡蓮は大きくて立派で、この日は空いていたので、離れて観たり、近くに寄って観たり、特に右下の紫色の睡蓮は好きだった。

舟遊び、1887年、松方コレクション

セーヌ河の朝、1898年、1965年度購入

1896年から98年頃にかけ、モネは早朝に起床して<セーヌ河の朝>という連作に取り組んだとのことで、本作は雨天時とも思われる情景で、連作のなかではやや特異な位置を占めているのだそうだ。
どこかで連作の他の作品も観たことがあると思うが、並べて比較して観てみたいものだ。

チャーリング・クロス橋、ロンドン、1902年頃、松方コレクション

「モネは1899年から3年続けて「霧の都」ロンドンを訪れます。テムズ河畔に滞在しながら、国会議事堂、ウォータールー橋、チャーリング・クロス橋をモティーフに連作を制作しました。ただしこれらの連作でモネの関心が向けられるのは、建造物そのものよりも、それらを覆うスモッグによる光の効果、すなわち霧のなかに拡散し、水面をかすかに照らす光のほうです。連作の1点である本作でも、堅固な構築物であるはずの鉄道橋は深い霧に溶けこんでおり、反映する光がもたらす他彩がわずかに橋の姿をとどめています。」

ラ・ロシュ=ギュイヨンの道、1880年、松方コレクション

「モネは1878年にアルジャントウイユを離れ、さらにセーヌ河を下ったヴェトゥイユに転居します。81年まで暮らしたこの地で画家は妻カミーユを失い、破産したエルネスト・オシュデの家族を養うことになりますが、苦しい時代にあってもヴェトウイユとその近郊を描いた数多くの作品を生み出しました。80年代に入ると画面は明るさを取り戻し、筆触はより大胆に、色彩は自律的な個性を帯びていきます。この町と近郊のラ・ロシュ=ギュイヨンを結ぶ街道を描いた本作では、バラ色をした冬の陽光が薄紫色の影と戯れながら、穏やかな郊外の雰囲気を離し出しています。」

ここからはモネの作品ではない。

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン(1858年-1936年)
日本婦人の肖像(黒木夫人)、1922年、松方コレクション

「黒木竹子は、大蔵省の委嘱により国際金融情勢を調査する目的でパリに滞在していた黒木三次の妻で、松方幸次郎の姪にあたります。黒木夫妻は画家や美術関係者と親しく、美術品を積極的に蒐集しました。ジヴェルニーのアトリエで松方にモネを引き合わせたのも黒木で、松方は多数の作品を画家から直接購入することになります。アマン=ジャンが和服姿の子を描いた背景には、モネにも通じる当時の日本趣味が色濃く反映されています。」

この黒木竹子さんも松方コレクション、さらには国立西洋美術館の貢献者なんだな。

カルロ・ドルチ(1616年-1687年)、悲しみの聖母、1655年頃、1998年度購入

こういう絵はあまり好きではないのだが、この絵は美しかった。額の色が絵にぴったりだ。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年-1890年)、ばら、1889年、松方コレクション

「この作品は、翌1889年に入院したサン=レミの精神療養院に咲くばらを描いたもの」とのこと。この絵を描いた翌年には自殺してしまうんだな。

この絵で面白かったのは額についてである。
絵の横にQRコードがあり、以下の解説があった。
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本作は当館の開館時(1959年)から、金色の装飾的な額縁に入っていました[参考図]。

しかし、簡素な額縁を好んだゴッホの嗜好との齟齬、また構造上の理由で額の影が絵画に大きくかかるという鑑賞上の難点などがあったため、2024年に額を新調することに決めました。

新調にあたり参照したのは、晩年のゴッホの主治医だったガシェ博士が、自ら所有する複数のゴッホ作品にかつて取り付けていた額縁です。それらはゴッホの意図を汲んでデザインされたと考えられています。

当館の《ばら》もガシェ博士の旧蔵品であることから同様のデザインを採用し、若葉色の茂みやバラの薄いピンクとの調和を考慮して、ごく薄い淡緑色にしました。もちろん以前の額縁も、歴史資料としての価値に鑑みて大切に保管しています。

ゴッホ作《ばら》の新しい額縁について | 西洋美術館

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なるほど、という感じなのだが、以前の額の方が良かったような気もする。

ただし、先日、あべのハルカス美術館にゴッホの跳ね橋を観に行った時に、印象派の好みの額縁は白だったとの解説があり↓、へ〜そうなんだ、と思ったのだが、後期印象派のゴッホもそうだったのかもしれないなと思った。

ゴッホの跳ね橋を観に行った@あべのハルカス美術館
奈良の義父母のところに行く機会を利用して、あべのハルカス美術館に「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」を観に行った。 この展覧会は東京では開催されない。でも、この「跳ね橋」は観たかった。とても良い展覧会だった。観れて良かった。

グスタフ・クリムト(1862年-1918年)、アッター湖の島、1901-1902年頃、寄託作品

「(前略)これらの<アッター湖の島>においてクリムトは、水平線を画面の上部に設定することで、湖面によって正方形のカンヴァス全体をなかばオールオーヴァーに、ほぼ覆いつくました。このとき、水平に広がる湖面は、垂直に立ちあがる絵画平面に変換されると同時に、観者のまなざしをその内部にいざなう絵画空間と化します。(後略)」

解説にはこのように説明されていたが、絵のタイトルは「島」なのに、実際は湖面の絵で、わずかに島が見えるのがポイントなのかなと感じた。クリムトというとキラキラした人物画というイメージで、こういう風景画のイメージはなかったので興味深かった。

パブロ・ピカソ(1881年-1973年)、小さな丸帽子を被って座る女性、1942年、井内コレクションより寄託

「本作は、ピカソの当時の愛人ドラ・マールの肖像で、ナチス占領下のパリで1942年4月21日に描かれたとされます。帽子をかぶって肘掛け椅子に座る女性の胸像は、画家が彼女をモデルに繰り返し取り組んだ構図ですが、本作はそれらのなかでも完成度の高い1点です。
ピカソ特有のデフォルメは最小限に留められ、比較的調和のとれた正面の頭部と、大きく描かれた両手が目を引きます。寒色を基調とした色彩や、ドラ・マールがこちらに向けるまっすぐな視線も相まって、厳粛で力強い印象を与える作品です。」

たしかにピカソの絵にしては、普通に近い感じがする。
ドラ・マールの視線が力強いなというのも納得。
ドラ・マールは、原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」にも登場するが非常に興味が湧く人物だ。

『暗幕のゲルニカ』 原田マハ | 新潮社
ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑤子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の

アンドレ・ドラン(1880年-1954年)、ジャン・ルノワール夫人(カトリーヌ・ヘスリング)、1923年頃、山本菓子氏より寄贈

「この女性は、映画監督ジャン・ルノワールの妻で映画俳優として知られるカトリーヌ・ヘスリングです。彼女は結婚以前にも、画家オーギュスト・ルノワール(ジャンの父)のモデルをつとめ、彼の最晩年の水浴図などにも描かれました。(後略)」とのこと。

なんとも美しい絵でしばし見惚れてしまった。これも額の色と質感が絵にぴったりである。

ル・コルビュジエ(1887年-1965年)、牡牛 XVIII、1959年、大成建設株式会社より寄託

「本作は牡牛を主題とした作品群のなかでも最後に制作されたもので、円熟期のル・コルビュジエ芸術のヴィジョンを要約する、きわめて象徴的な絵画作品です。(後略)」との説明があった。

勉強不足ながら、著名な建築家としてのル・コルビュジエは知っていたが、絵画については全くしらなかった。調べたら、最初は画家からスタートして、建築家として活躍し始めた後も絵はずっと描いていたのだそうだ。

なにより、この国立西洋美術館はル・コルビュジエが設計した日本で唯一の美術館であり、世界文化遺産でもある。
自分が設計した美術館に自分の絵が飾られているなんて、なんともカッコイイ。

美術館の建築|国立西洋美術館

最後に改めて松方コレクションに立ち戻るが、
事業で儲けたお金を使って美術館を作るためにこれだけの名品を買い集めた松方幸次郎は良くやったし、
戦争に負けてフランスに取られたコレクションを全てではないが交渉して大体取り戻した当時の日本政府も良く頑張った、
そして、今もそういう貴重なコレクションをきちんと管理して、若い世代には無料で公開している、国立西洋美術館もさすが国立の施設である。

原田マハさんの「美しき愚かものたちのタブロー」を読んでから、すっかり国立西洋美術館のファンになってしまった。

気持ちよく上野を後にした。感謝である。

おわり

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