2025年7月18日~21日
前回からのつづき。
ドーミーイン帯広で目覚めた。
3泊4日の北海道ガーデン巡りの旅もいよいよ最終日になってしまった。
まずは、混む前に朝一番で朝食会場に出向いてしっかり食べる。
朝食が充実していて、ご当地一品料理の「ホエー豚丼」もあって、情けないがガツガツしてしまう。

さてガーデン巡りに出発だ。
まずは、真鍋庭園からだ。↓
開拓120年、開園50周年(1966年から)、というのがすごい。

今日は素晴らしい夏空である。

入口には、こんな幟が。↓
たしかにこの朝ドラを見たときに、十勝にはいつか行ってみたいと思っていたのだが、なぜ今頃?と思いながら入園して謎が解けた。

NHKの朝ドラ「なつぞら」のロケセット(天陽の馬小屋〜アトリエ)があった。↓
「十勝が舞台のNHK連続テレビ小説「なつぞら」。実は、帯広市内でも2018年夏、2019年冬と夏の3度の撮影がありました。帯広観光コンベンション協会は、使用されたロケセットを観光振興に活かすべく譲渡を申請。撮影のあった真鍋庭園の別の畑から移設し、保存・管理を委託しています。」とのことだ。
庭園の人に聞いたら、畑のシーンの撮影は真鍋庭園が所有する別の場所にある畑を借りて行われたという経緯があって、真鍋庭園がこのセットを預かる形になったとのことだった。




入口に開拓120年と書いてあったが、パンフレットには、以下のような記載があり、真鍋庭園の歴史が朝ドラの「なつぞら」と重なってくることが分かった。
「明治二十九年、開拓のために香川県から移り住んだ第1・第2世代。見本園は、第3世代が日本庭園と風景式庭園の基礎を創る。第4世代が、輸入樹木を駆使して西洋風庭園のエリアを拡張。現在は第5世代が樹木生産販売と見本ガーデンの運営をしています。」
いよいよ、25,000坪ある庭園を回る。



最初は日本庭園のゾーンだ。↓
地下350mから自噴する14度の地下水でこの池ができているそうで、庭園の創建期から存在しているとのこと。「鯉の池」という名前がついていて、たくさんの鯉がいたそうだが、鳥にやられてしまった、とのことだった。かわいそうに。


真正閣(しんしょうかく)。↓
「明治44年、当時の皇太子が北海道行を行うため帯広市中心部に建築された御在所です。大正11年には当時の皇太子の「お休み所」として、戦後は米進駐軍の宿舎や帯広市公民館へと姿を変えてきました。昭和37年解体されることが決まり、譲り受けた先々代の真鍋正明の名前から「真正閣」と命名し現在地へ移築。昭和43年9月に完成しました。」という説明があった。


ここからはヨーロッパ庭園。↓ こちらが真鍋庭園の真骨頂である。。

リスがいた。この環境だったらリスもハッピーだろうなと思う。



はまなすの小道。↓

この大きなヤナギが印象的だった。↓
日本に普通にある柳ではなく、ヨーロッパ産のセイヨウシロヤナギ「トリステス」という種類だそうで、この庭園内にこのシロヤナギの巨木が2本あり、いずれも樹齢60年と教えてもらった。
モネの代表絵画「睡蓮」シリーズに描かれているのも、このシロヤナギだそうだ。

もう一本のセイヨウシロヤナギの巨木がこれだ。↓
こちらは途中まで上がれるようになっている。




モンスターガーデン。↓
こういう枝振りに何らかのやり方で仕立てているのかと思っていたが、後で説明を読んだら、「枝垂れ(しだれ)」と呼ばれる不思議な樹形があって、それをヒントにしたとのことだった。

この庭園はコニファーで有名と聞いていたが、シルバーブルーグリーンのコニファーがずらっと並ぶ姿は圧巻で、北欧のどこかの国に来たような気分になる。↓

天を突くようにようにポプラが並んでいる姿も印象的だった。↓

真鍋庭園は輸入樹木を駆使した西洋風庭園の部分が独特で、事前に思っていたよりはるかに楽しめた。時間が足りなくて、この庭園は行けないかも、と思っていたが、昨日、六花亭アートヴィレッジ中札内美術村に行けたので時間ができて来れて良かった。
さて、次はこの旅行最後のガーデン、「六花の森」である。
クルマで走ってくると、大きなサイロがドーンと目に入ってくる。↓


美しい入口だ。↓

入口の建物が、なんとも味わいのある年季の入った建物だなと思っていたが、中に入って説明書きを見て驚いた。

「原生林や川の流れ、自然を生かしながら開発を進め、2007年『六花の森」が誕生しました。点在する風合いのある建物は、全てクロアチア共和国から譲り受け再築したものです。悠に150年は経っているオーク(ナラ)材の古民家。それらを解体し日本へ搬送、前例の無い業務を一手に担い、六花の森プロジェクトにご尽力いただいたのが、ザグレブ在住のアーティスト(主に金属で空間造形)カロリーナ・ペルナルさんです。ここに彼女の作品を飾り、懐の深いクロアチア共和国共々、感謝の意を表します。」と書いてあった。

クロアチアは行きたかったが、いまだ行ったことがない。地中海沿岸の明るいイメージがあるが、歴史を紐解けば、1991年に独立するまでは社会主義の旧ユーゴスラビアだったわけで、古民家というとこういう感じになるのか、昔良く訪れた東欧の国の田舎の民家と似ている。

しかし、なぜクロアチアからわざわざ古民家を解体して日本に持ってくることになったのか。受付の人に聞いたら「オーナーがクロアチアに何度か行く機会があり、この建物を持ってきたいということになった」とのことだった。もともと興味があったのだが、この話を聞いて、さらに六花亭のオーナーさんがどういう方なのか知りたくなった。
六花亭の初代社長・小田豊四郎氏について調べてみた。簡単に歴史を書くと以下の通りだ。
詳細は公式HPの沿革や函館市文化・スポーツ振興財団の記事をご参照。
1933年:帯広千秋庵として開店。(その後、1937年に当時は札幌千秋庵の支店であった帯広千秋庵の経営を叔父から引き継ぐが、苦しい経営が続く。)
1951年:関西大学・山崎紀男教授の講演で氏が語った「お菓子は文化のバロメーター」の言葉に衝撃を受け、帯広を代表する銘菓を作ることこそが自分の使命と誓う。
1952年:帯広市開基70周年、市制施行20年の記念菓子を帯広市より拝命いただき『ひとつ鍋』を納める(これがヒット商品となった)。帯広千秋庵株式会社設立。
1960年:児童詩誌『サイロ』創刊。表紙絵と題字は山岳画家・坂本直行氏。
1961年:坂本直行氏が描いた北海道の山野草を使った花柄包装紙が完成。
1977年:東大寺管長・清水公照老師命名で社名を『六花亭』に商号変更。社名変更記念菓子『マルセイバターサンド』を発売。
1992年:坂本直行記念館(現・中札内美術村)開館。
2007年:六花の森開園。
すごいなと思うのは、ビジネスで大成功をおさめた後ではなく、40代の半ばのまだかなり早い段階で子供のための詩誌「サイロ」の創刊をされていることだ。何か哲学的なものがなければこういうことは出来ないと思う。


直行絶筆館とサイロ歴史館。↓
小田豊四郎氏はサイロ創刊の際に、山岳画家・坂本直行氏に表紙絵を描いて欲しいと依頼に行った。坂本氏は承諾してくれたが、小田氏に対して、その代わり、あなたも簡単にサイロの発刊をやめてはいけない、続けないといけないと話した、ということが「サイロ歴史館」の中に書かれていた。以来、60年余にわたって、豊四郎氏が亡くなられた後も、毎月発行が続けられている、というのがすごいと思う。


直行絶筆館には、坂本氏が最期に描いた風景、未完となった「原野の柏林と日高山脈」がキャンバスのまま展示されている。↓

直行デッサン館。↓
ここに展示されていた美しいデッサンのひとつ。「谷川岳より笠ヶ岳」と書いてある。↓


今日は快晴だ。雨の後で草花が生き生きしているように見える。


美しい森の中に傘が現れた。↓

日除けになっていて、この下でひと休み出来るようになっていた。↓

この森では北海道を代表する6種類の花を育てているとのこと。綺麗な「はまなし」が咲いていた。↓
「はまなし(浜梨)」でなく「はまなす」ではないのかと聞かれるが、六花の森で「はまなし」とするのは、坂本直行氏が「一般には、『はまなし」か「はまなす』かの論争があるが、木になった実を見れば一目瞭然で、その形は「なす』ではなく「なし』に近いのはあきらかである。」と述べているからとのことだ。



園内にある「柏林」で、無料のビスケットとコーヒーをいただいてひと休み。↓


園内には澄み切った綺麗なせせらぎもあってなんとも心地よい。

シャケ(の彫像)が遡上しようとしていた。↓

花柄包装紙館。↓ 六花亭と言えば、やはりこの包装紙だろう。
坂本直行氏に「サイロ」の表紙絵をお願いしたことが縁で、坂本氏が北海道の山野草を描いた絵を包装紙とすることになったらしい。

「1961年(昭和36年)、デザインを引き受けた坂本直行は7種類のパターンを制作しました。北の大地に育つ69種類の山野草が描かれますが直行は花を描いたあとひとつひとつ切り抜いてバラバラにし改めて台紙の上に置き直し天地無用のレイアウトを考えました。原画(レプリカ)からはその様子がうかがえます。」との説明があった。↓


最後はお楽しみの「六’café(ロッカフェ)」へ。↓


ここでは、六花の森工場で製造されたばかりの出来立てのマルセイバターサンドが食べられる。↓
マルセイバターサンドは私の大好物である。
「まだビスケットとクリームが一体化しない若々しい味をお楽しみください。」と包装紙に書いてある。だ、一体化したバターサンドも、若々しいバターサンドも、私には甲乙つけがたい。
このコーヒーカップが欲しかったのだが、六花亭会員が貯めたポイントと交換でしか入手出来ない非売品で断念した。

六花の森の花柄包装紙イメージの写真(以下下)はどこで撮られたのかな、あそこに行きたいなと思いながら歩いていたのだが結局分からなかった。
最後に受付の人に教えてもらったが、撮影した季節は春(5月)なので、今は花は咲いていないですよ、とのことだった。
2007年の開園から15年後の写真だから2022年撮影ということになる。↓

これが現在、2025年7月の写真である。↓
季節の違いはあるにせよ、木々が大きくなったなと思う。
これで今回の旅の最後のガーデン、六花の森ともお別れである。

北海道ガーデン街道の8つのガーデンのうち、今回行けたのは6つ。
風のガーデンは前回行ったので良しとして、残念ながら十勝ヒルズまでは回れなかった。
とかち帯広空港に向かう前に、その途中の「幸福駅」に寄ることにした。
幸福駅が話題になった頃のことは良く覚えているが、当時の自分にとってははるか遠い場所という感じだったので、まさか自分がここに来れるとは不思議な感じだった。


昔ながらの、あの硬くて厚い紙の切符が今でも売られていて、インバウンド環境客の人たちが買っていた。↓



楽しかった旅も終わりだ。
レンタカーを無事返却して、とかち帯広空港で一杯。

このパッチワーク模様にまた会いに来ます!

おわり
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