2025年11月21日
遅ればせながら、CREVIA BASE Tokyo(豊洲)で開催されているラムセス大王展に行ったらエジプトに行きたくなった。

エジプトのカイロに「大エジプト博物館」がオープンしたことを知って、興味を持っていたところに、知り合いがラムセス大王展は良かったと行っていたとの話があり、これは行かねばと急遽行ってきた。知らなかったが3月から開催されていたようだ。

ゆったり観たかったので平日の午後を予約。予想通り空いていた。↓


中に入るとラムセス大王(2世)の巨像の頭部が出迎えてくれた。↓
ラムセス大王とは「紀元前1280年頃に父セティ1世の死去に伴い、ラムセス2世は20代半ばで第19王朝の第3代ファラオに即位しました。屈強な戦士であると同時に、平和の使者、優れた建設者としての顔も持ち合わせ、自己宣伝にも長けていました。8人以上の妻とのあいだに100人を超える子をもうけ、67年という長きにわたりエジプトを統治しました。
生前から神として崇拝されたラムセス2世は、エジプトに平和と繁栄をもたらす新たな黄金時代を築き上げました。ラムセス大王の伝説は時とともに深みを増し、今やラムセス2世は古代エジプトの力と威厳の象徴となっています。」とのことである。

エジプト周辺のリビア人やヌビア人捕虜の姿を描いたファイアンス製タイル。↓
ファイアンスとは、粉砕した石英に美しい青や緑色のガラス質の釉薬(ゆうやく)をかけて作られた色鮮やかな陶器のことを指すようだ。


「雄羊の頭を配した器を捧げるスフィンクスとしてのラムセス2世像」↓
「ラムセス2世の絶対的な権力と神への深い信仰心が凝縮されたのが、このライオンと人間を融合させたスフィンクスです。力強さの象徴であるライオンは、古来より王族と密接な関係にありました。」


アブ・シンベル神殿正面の模型。↓
「毎朝、大神殿の正面は朝日を浴びて生き生きと輝きます。朝日が昇る東を向いたラムセス2世の巨大な4体の像と、その足元に佇むネフェルタリ、2番目の王妃イセトノフレト、二人の王妃の子の像が黄金色に染まり、やがて神殿内部が光で満たされます。(後略)。」という説明が付されていた。

「若き日のラムセス」↓
「ひとめでラムセス2世とわかるこの像は、公式の肖像で、理想化された若きファラオの姿を表しています。丸みを帯びた若々しい顔、アーモンド形の細長い目、そしてほほ笑んでいるような口元が表現されています。ウラエウス(守護女神ウアジェトを表すコブラ)が配された王冠を被り、王権の象徴であるへカの(しゃく)を手にしています。」とのこと。


「エジプトの宿敵であるシリア人、ヌビア人、リビア人の3人を成敗するために斧を手にしたラムセス2世が描かれています。ラムセス2世と捕虜の大きさの違いは、ファラオとしての地位と、外国人捕虜に対する彼の権力と支配を強調したものです。」とのことなのだが、なんとなく滑稽で笑ってしまった。↓

そして、ラムセス2世は、最も強力な敵であったヒッタイト帝国(現在のトルコ中央部のアナトリア高原に栄えた国)をカデシュの戦いで打ち破り、エジプトに平和ををもたらし、67年に及ぶ統治の末に紀元前1213年に死去した、というのがエジプトから見た歴史なのだが、ヒッタイト側は「この戦いはせいぜい引き分けだった」と言っていた、ということも紹介されていて面白かった
しかし、いずれにしても、ラムセス2世のもとで、長期に渡る平和な期間があったからこそ、これだけの建築物と芸術を生み出すことができたというのは事実であろうと思う。

この空間はとても魅力的で居心地が良く、エジプトに行きたくなった。↓






「彩色されたこの亜麻布は、セン彩色されたセンネフェルのネフェルの外に掛けられていたものです。供物台の前に座るセンネフェルが描かれています。」との説明だったが、なんとも魅力的で美しく惹かれた。↓

これには以下の説明が付されていたが、ほれぼれするような美しさでしばし足が止まってしまった。↓
「アメンエムオペの棺から出土した金箔が施された木製のマスク」
「センウセレト2世の王冠に使われていたウラエウス」

小さなウラエウスになんとも惹かれた。↓



「特別な栄誉を授かった王妃(ネフェルタリ)」 ↓
「ラムセス2世がネフェルタリを讃えたほど、王妃を賛美したエジプト王はいません。アブ・シンベルの中央広間の壁には王と王妃の姿が彫り込まれ、立ち並ぶ柱には慈愛に満ちたハトホル女神の顔が象られています。
ネフェルタリは、公務に臨むラムセス2世に同行し、ヒッタイトとの和平交渉にも参加しました。しかし、アフ・シンベル神殿が完工してまもなくこの世を去ります。2人の間には7人の子供がいましたが、父親よりも長生きしてファラオに即位した息子はいません。」との説明があった.
王妃であり優秀な業務秘書でもあった、ということか。

これもため息が出るくらいの美しさだった。↓
「ウェンジェバエンジェド(将軍)の黄金の葬祭用マスク」
「ハトホルの頭飾りを戴いたイシスの護符」

私の大好きな興福寺の阿修羅像にちょっと雰囲気が似ているような気がした。↓




第22朝の王であった「シェションク2世のミイラは黄金の葬祭用マスク、護符、ベルト、宝飾品を身につけ、手足の指には黄金の指飾りがかぶせられ、頭の先からつま先まで何もかもが燦然と輝いていました。」↓

この宝飾品の中の2品が特に素晴らしかった。
「メソポタミアの円筒印章を持つシェションク2世のブレスレット」↓
ブルーの部分が回転してハンコの役割をするようになっていたらしい。

私の写真がイマイチなので、解説動画の写真を。↓

「ホルスの眼をデザインしたシェションク2世のブレスレット」↓
ホルスの眼とは、古代エジプトのシンボルなのだそうだ。
これらのブレスレットにはブルーの石が使われているが、これはラピスラズリ(日本名は瑠璃)とのことで、なんとも言えない美しい青だ。
ラピスラズリは、紀元前から「聖なる石」として崇められてきた歴史の古い天然石とのことだ。

しかし、そのラピスラズリを手にいれるのは大変だった、と動画での解説を見て知った。↓

アフガニスタンのバダフシャン州から輸入していたらしい。↓

「シェションク2世のミイラは、タカの頭をかたどった珍しい2つの棺に納められていました。このタカは葬祭神ソカルである可能性が高いといわれています。」↓

「蓋の裏側には、守るように両手を広げた空の女神ヌトが、故人と向かい合わせになるように見事に彫刻されています。」↓
なんとも美しかった。

「ラムセス2世の棺」 ↓
「ラムセス2世の遺体は美しい思いが施されたこの杉材の棺に納められていました。蓋にあるヒエログリフはラムセス2世のカルトゥーシュを表し、墓から隠し場までの道のりが語られています。」
この棺は約47年ぶりにエジプロ国内からワールドツアーに出た貴重な棺なのだそうだ。


「ラムセス2世の巨像の上部」が見送ってくれた。↓

最後は「ラムセス2世が建てたもっとも壮大な遺跡、アブ・シンベル神殿とネフェルタリ王妃の墓にスポットを当てた、没入型VR体験」を楽しんだ。↓
前半のアブ・シンベル神殿の中の様子がとても素晴らしかった。

このVRを見て、これって日本人が作ったものではないのでは?と思って、改めてGeminiに助けてもらって調べてみたら、この展覧会は巡回展で、日本に来る前は以下のような国々で開催されてきたようだ。
道理で日本的でないなと感じたわけだ。
🇺🇸 アメリカヒューストン2021年11月 〜 2022年5月
🇺🇸 アメリカサンフランシスコ2022年8月 〜 2023年2月
🇫🇷 フランスパリ2023年4月 〜 2023年9月
🇦🇺 オーストラリアシドニー2023年11月 〜 2024年5月
🇩🇪 ドイツケルン2024年7月 〜 2025年1月
エジプトのカイロには仕事で35年以上前に訪れたことがある。
当時のカイロの街の記憶は、圧倒的な交通渋滞とクラクションの嵐、夕食に行ったホテルがとても豪華だったこと、そしてピラミッドを構成するひとつの石が想像以上の大きさだったことだ。
今はカイロもずいぶん変わったのだろう。
ルクソールには行ったことがない。
死ぬまでにエジプトには再度行かねば、という気持ちになって帰宅した。
おわり


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