新春の福井加賀を巡る② | 加賀山中温泉〜鶴仙渓 | 九谷焼美術館で知った古九谷の謎は興味深い

2026年1月9日〜10日

前回からつづく。

起床。
朝は早速私も部屋の掛け流しの露天風呂で山中温泉を満喫した。
やっぱり、部屋にある露天風呂はいいな。

その後は朝食だ。
美味しく美しい食事を朝からいただいてなんとも幸せの限りである。↓

最後になって、我々が座っていた椅子がすごく豪華であったことに気づいた。
このきらびやかな雰囲気が、私が好きな「加賀」のイメージである。↓

他にも、「吉祥やまなか」には「加賀」を感じさせてくれるものが色々あった。

加賀獅子頭↓
「初代加賀藩主前田利家公が金沢城に入場した時盛大に行われたお祝いの獅子舞はそれ以後の隠れた武芸奨励策として盛んになりました。また獅子頭は災難をくいとめ、一声で万物を異服すると云われており、魔除、厄除けの守り神として床の間や玄関などに飾られたり縁起物として親しまれています。」との説明書があった。

美しい色使いだ。↓

一番好きだったのは、この「青手」の九谷焼である。
説明書きには以下のように書いてあった。
 吉田屋風 九谷焼
 伝統的な九谷絵柄のひとつで、赤を使わず主に青黄紫緑の四彩で花鳥山水を描いたもの。
 背景色として黄色が多く用いられます。

そろそろチェックアウトの時間だ。
玄関にあった九谷焼唐獅子に挨拶して、吉祥やまなかを出た。↓
この唐獅子についての説明書の中に「加賀百石石・前田家の宝物の中にも唐獅子の名作が残されています。」と書かれていた。

以前、金沢を初めて旅した時に、この街はセンスがいいな、カッコイイ街だな、と感じた時から、加賀百万石・前田家についてもっと知りたいと思い、ずっと興味を持っている。
すでに前売券を買ったが、以下の展覧会に行くのが楽しみである。↓

前田育徳会創立百周年記念 特別展「百万石!加賀前田家」
加賀前田家 脅威の大コレクション、60年ぶりに一挙公開/2026年4月14日(火)~6月7日(日)/東京国立博物館 平成館(上野公園)

加賀棒茶(ぼうちゃ)をおみやげにいただいた。とても美味しいお茶だ。↓
棒茶と言う理由は、以下に書いてある通り、お茶の葉ではなく、茎の部分だけを使って焙煎しているから、とのこと。調べたら、全国の他にもあるが、それらは茎茶と呼ばれるようだ。

さて、チェックアウト後は、山中温泉にある、有名な鶴仙渓(かくせんけい)の散策だ。↓
松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅の途中で訪れ、その景観を絶賛した名所とのことなので、ちょっとだけでも歩いてみようということになった。この日は暖かくて天気が良くてよかった。
この旅のちょっと後には寒波が来たので、年老いた義父母が散歩など出来る環境ではなかったはずだ。↓

そばの無料駐車場にクルマを停めて、こおろぎ橋を渡って歩き始めた。↓

散策は隣のあやとり橋まで。↓
義父母がこの道のりを往復して戻るのは無理なので、私は途中で引き返してクルマで移動、あやとり橋の向こうで出迎えて、無事合流。
思っていたより早くに義父母がこの橋を渡ってきたのでビックリ。元気でなによりだ。

無事、散策を終えてクルマに乗ったが、この街の至る所に、加賀名物「娘娘(にゃあにゃあ)饅頭」という広告があるので、この加賀名物は買って帰らねばと本店に寄った。↓

娘を「にゃあ」と呼ぶらしいので、中国の影響があるのか?と思ったが、そうではないようで、このあたりでは、そのように読んでいたそうだ。甘過ぎずとても美味しい温泉饅頭だった。

さて、山中温泉を出発して昼食に向かったのは、加賀市大聖寺にある加賀料理のお店「かが幡亭」である。↓

鴨料理が名物とのことなので、私は天然鴨を使った郷土料理「鴨治部煮(かもじぶに)」をいただいた。↓
ちょっととろみのある上品な味で、とても美味しかった。

満腹になった後は、石川県九谷焼美術館へ。

訪問時の特別展は「赤絵」についてであったが、↓

私のお目当ては左下の「青手」である。↓

中に入ったらいきなり、あの有名な「日本百名山」の著者・深田久弥の言葉を書いたパネルがあり、この人は山だけでなく、焼き物にも造形が深いのかと思ったら、彼がこの美術館のある大聖寺出身であったことを知った。↓

白山にも興味が湧いてきた。↓
富士山・立山と並ぶ日本三名山(日本三霊山)のひとつである。

加賀藩の支藩として大聖寺藩があったようだ。

そして大聖寺藩祖・前田利治のもとで、九谷焼が生まれた、という歴史である。↓
しかし、深田久弥も以下で「九谷焼の古い歴史は曖昧模糊として、諸説が行われているようである。」という言い方をしている通り、簡単な歴史ではないようだ。

現在の加賀市山中温泉九谷町にある九谷古窯跡。↓

「加賀九谷」について
加賀九谷というプライド。 九谷村から始まる「加賀九谷」の歴史。吉田屋により再興され、山代の地に移されて以来、その窯は脈々と引き継がれ、その系譜は現在に連なっています。古九谷から続く九谷焼本流の誇りを胸に、私たちはこの地で日々、腕を磨いていま...

九谷焼の歴史については、上記の「加賀九谷陶磁器共同組合」のサイトに以下の説明がある。
特に、後段の「大聖寺前田家と佐賀鍋島家の縁」の部分は、今回調べていて初めて知ったのだが非常に興味深い。鍋島について、足利の栗田美術館で勉強したことがここで繋がってきた。

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九谷焼は、江戸時代の初期に、加賀国の江沼郡九谷村(現・石川県加賀市山中温泉九谷町)でその歴史が始まりました。

寛永16年(1639)、加賀藩主・前田利常は、加賀国の南西にある江沼郡を分封して大聖寺藩を立藩し、三男の利治に治めさせることにしました。才気溢れるこの初代大聖寺藩主は、積極的に藩内経営に乗り出します。家臣の後藤才次郎に命じて、殖産政策として領内の鉱山開発を始めました。すると、九百九十九の谷があるといわれるほど山深き大聖寺川上流の九谷村から、磁器の原料となる陶石が産出されることがわかりました。

茶人でもあった利治は、この陶石を使って磁器を生産し、藩の産物にしようと思い立ちます。そこで、後藤才次郎を磁器製作の先進地・肥前国有田(現・佐賀県西松浦郡有田町)に派遣し、作陶技術を学ばせることにしました。こうして、修業を終えた後藤才次郎は、帰藩後の明暦元年(1655)頃、九谷村に窯を開き、田村権左右衛門らを指導して色絵磁器の生産を開始しました。これが九谷焼のはじまりです。このため、大聖寺藩の江沼郡九谷村、つまり現在の石川県加賀市が九谷焼発祥の地とされています。

この時代につくられた作品は「古九谷」と呼ばれ、その大胆な構図や豪放絢爛な色彩は、我が国の色絵磁器の傑作と評されています。なお、古九谷と伝わる色絵磁器はすべて有田・伊万里製だという見解も有力です。しかし、現在、九谷焼窯跡展示館に常設展示している2点の古九谷は、放射線を用いた非破壊分析の結果、九谷村の窯でつくられた素地であることが判明しています。古九谷はすべて有田産というわけではなく、加賀でも色絵磁器が焼かれていたことを明確に示すものです。

この九谷村の窯は「九谷古窯」と呼ばれますが、開窯から約50年後の18世紀初頭、突如操業を終えました。その理由には、藩主利治の死や藩の財政難、あるいは幕府からの圧力など諸説ありますが、いまだ謎に包まれており、真相は定かではありません。なお、九谷古窯の遺構は現存しており、「九谷磁器窯跡」として国指定史跡となっています。

大聖寺前田家と佐賀鍋島家の縁

後藤才次郎が作陶を学んだ肥前国有田は、当時、佐賀藩初代藩主の鍋島勝茂が治めていました。
実は、この佐賀藩の鍋島家と大聖寺藩の前田家の間には、浅からぬ縁があったのです。

鍋島勝茂の長女市姫は、米沢藩2代藩主の上杉定勝に嫁いでますが、その間に生まれた長女徳姫は、前田利治の妻となっています。さらに、次女虎姫は勝茂の嫡孫・鍋島光茂に、異母妹の三女亀姫は、のちに大聖寺藩2代藩主となる前田利明(加賀藩主前田利常の庶子。利治の異母弟)のもとにそれぞれ嫁いでいます。つまり、前田利治・利明とも、妻は鍋島勝茂の孫娘なのです。

この婚姻関係に加え、鍋島家と前田家は、江戸城登城の際、控えの間が同じだったとのことです。後藤才次郎の有田派遣が実現したのも、こうした両家の縁があったからではないかと想像されます。
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以下の年表を見ても、古九谷は1710年頃にバサっと途絶えてしまっており、なんとも不思議である。↓
歴史に残っていない、ということは、歴史に残せない何らかの理由があったはずで、加賀や九谷焼についての興味が膨らんでくる。
加賀百万石は最大最強の外様大名で江戸幕府から常に警戒されていたわけだから、やはり幕府が何らかの形で関わっていたのではないかと私は思うのだが。

しかし、その後、九谷焼が再興されて良かった。↓
再興した吉田屋伝右衛門には「偉い」と言いたい気分である。
私が惹かれるのは、1824年に開窯した吉田屋窯が古九谷の再現を目指した「青手」である。
豪商だったようだが、商売で儲けたお金を芸術に使ったのは正しい使い方だと思う。
松方コレクションの松方幸次郎に通ずるものを感じる。

石川県九谷焼美術館に展示されていた青手の中では、以下の3つの作品が好きだった。

土城に牡丹図大平鉢、古九谷(江戸前期) ↓

百合図平鉢、吉田屋窯(江戸後期)↓

鷺図平鉢、吉田屋窯(江戸後期)↓

九谷焼の歴史の謎については、3月に有田・伊万里を訪問予定なので、鍋島との関係含めて、もう少し勉強してみたい。

九谷焼美術館を出たあとは、一路、奈良に向けてクルマを走らせた。

途中、名神高速の多賀SAで休憩した時に、好物の「丹後のばらずし」を見つけたので、四人分買って、奈良の義父母の家に戻って夕食にした。

丹後のばらずし | 株式会社加悦ファーマーズライス|京の加悦寿司
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普段、奈良から新幹線で帰る時には、京都駅で「とり松のばらずし」を必ず買って食べるのが楽しみなのだが、今回、多賀SAで買った「京の加悦寿司のばらずし」も美味しかった。

義父母も元気で一泊二日の旅を楽しむことが出来て本当に良かった。感謝である。

おわり

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