2024年11月2-3日
前日の近江八幡からのつづきである。
残念ながら2日目も雨。予報によれば、昨日よりもっと本格的に降るとのこと。
となれば、80代後半の義父母と共に行く場所は美術館か博物館しかない。
考えた末に琵琶湖博物館(びわ博)に行くことにした。
これが大正解だった。
入口にはマンモスがいる。
琵琶湖にマンモスがいたとは想定外だったのでびっくり。↓
日本最大の湖、びわ湖は400万年という長い歴史をもつ古代湖とよばれる湖の一つで、2000種以上の生き物が暮らしていて、ここにしかいない生き物(固有種)もたくさんいる、という特別な湖だ。
特に水族館が最高だった。
正しくは水族展示室というらしい。
まず最高だったのはゲンゴロウブナだ。
最近やれていないが、私は子供の頃からヘラブナ釣りが大好き。
ちなみに、釣りはフナに始まりフナに終わる、と言われる。
それだけ奥深いということかと勝手に理解している。
ヘラブナは琵琶湖固有種であるゲンゴロウブナを品種改良した養殖種であると知って、子供の頃からオリジナルのゲンゴロウブナを見てみたかったのだが、やっと見れた。
約400万年の歴史を持つ琵琶湖だが、ゲンゴロウブナは約260万年前に琵琶湖固有の魚として誕生したと書いてある。
なんとも感動した。↓
これがゲンゴロウブナ、のはずだ。ヘラブナほど体高は高くない。
次に感動したのはタナゴだ。子供の頃に父に連れられて冬のタナゴ釣りに行って、小さいが美しい、この淡水魚に魅了された。
特にイタセンパラは天然記念物(魚類では初めて)で本の写真でしか見れず、いつか生きている本物を見たいと思っていた。これがイタセンパラか、と嬉しかった。
絶滅が危惧されるニッポンバラタナゴがイタセンパラと水槽で泳いでいる様子。↓
こちらは小学生の頃に釣りに行ったタイリクバラタナゴ。↓
関東ではこのタナゴが釣りの対象としてはポピュラーだった。外来種でニッポンバラタナゴとの交雑が問題になっているようだが。
関東の釣り師の間では通称オカメと呼ばれていた。
川の中でオカメが身体を反転させると、太陽の光が魚体に反射してキラキラと光って、そこにオカメがいることが分かる。美しい光景だった。釣り師はその様子を「ヒラを打つ」と呼んでいた。ヒラを見つけて慌ててそのポイントに釣り糸を垂れたことを思い出す。
今は亡き実父に教わったことだ。
おまけは、これも天然記念物のミヤコタナゴ。↓
たくさんの種類のタナゴを見ることができて、少年の時に戻ったような気分で大満足だった。
最後はホンモロコだ。↓
水族展示室という場所における魚の紹介が「とてもおいしい」となっているのに驚いた。ここが魚市場なら分かるのだが。
だが、事実、とても美味しかったので意義無し、という感じだった。
次のコーナーに行くと、世界の古代湖の比較が出ていた。↓
世界トップはロシアのバイカル湖だ。
非常にざっくり表現すると、琵琶湖の10倍古く、10倍大きくて深い、という感じだった。
実はバイカル湖には仕事の出張の際に訪れたことがある。
たしか1992年の真冬の2月だった。
あの大黒屋光太夫も通ったことがある、シベリアのパリとも呼ばれた街、イルクーツクからクルマで連れて行かれたが、気がついたらクルマは凍った湖の上に停車していた。
非常に乾燥しているので雪は大して積もっておらずサラサラで、湖面の雪を払うと、多分2-3mくらいの厚さで氷が張っていた。当時は凍ったバイカル湖の上を小型トラックが行きかっていた。対岸との間に真冬のみ成立するショートカットルートだ。
湖畔にあったバイカル湖博物館にも行ったが、当時はソビエト連邦時代からロシアになったばかりの頃で、予算もなかったのであろう、寂れた雰囲気で、湖の深いところに住んでいる魚のホルマリン漬けの標本があったが、あとは共産主義時代のカビ臭いような臭いの記憶しかない。
思いがけず大昔のバイカル湖のことを思い出してしまい、バイカル湖博物の公式サイトを見てみたが、いまだにロシア語版しかないようだ。
次に、ビワコオオナマズの水槽に来た。↓
びわ博にとっては、今とても重要な魚だ。 昨年、この魚の水槽が突然大破して割れてしまったのだ。
なので、新水槽を作るための資金集めをクラウドファンディングでやっている。
家に戻ってきてからしっかりやった。私がポチッと応援した時は目標額の2,000万円の半分、1,000万円を少し超えたところだった。
びわ博のおかげで、少年時代に戻ったようなこんなに楽しい気持ちになれたわけで、応援するのは当然だ。
びわ博で楽しんだ後は、今日のお宿、おごと温泉の湯元館へ。↓
後で調べたら、1929年創業のおごと温泉で最初の温泉旅館とのこと。
義父母が一緒なので、豪華に露天温泉風呂がついている部屋にした。
大浴場の温泉はこんな感じ。↓
写真の上の一番大きい5Fの温泉は綺麗な日本庭園にいる感じで良かった。
写真右下の11Fの露天風呂には翌朝入ったが、朝日が上るのが見えてとても良かった。
温泉を楽しんだら夕食。これは最初の写真。↓
この後もたくさんの美味しい料理を出していただいて満腹。
もったいなかったが多過ぎて食べきれなかった。
ごちそうさまでした。
おごと温泉は、最澄が開湯したと伝えられる1200年の歴史を誇る温泉だと知った。
昔は雄琴温泉と表記していたようだ。一時期は、雄琴イコール特殊浴場(ソープランド)というようなイメージが出来てしまったようだが、今ではそのイメージを払拭したようだ。
それもあって「おごと」とひらがなに改名したのではないかと想像する。
おそらく、おごと最初の温泉旅館である湯元館はそういう色々な歴史を全て経験して、乗り越えてきたんだろうな、と家に帰ってきて歴史を調べて思った。
とても良い温泉宿で、部屋の露天風呂を義父も気に入ってくれて良かった。
この日は少年時代に返って、びわ博の淡水魚のことを思い出しながらぐっすり眠った💤
+++++++++++++++++
翌朝は起きてすぐに早速11Fの屋上の露天風呂に行った。
朝日が上るのをちょうど見れて気持ち良かった。
その後は朝食。バイキングの料理が沢山あって迷っているうちに、結局最初にお皿に取った料理は支離滅裂になってしまった。
盛り付け方に美しさのかけらもなくて恥ずかしい。
なお、お料理自体はとても美味しかった。↓
朝食をゆっくり食べてから出発。
湯元館のみなさま、お世話にになりました。
今日はやっと天気が良くなってきた。
クルマで天台宗の総本山、比叡山延暦寺に到着。↓
根本中堂に着いた。↓
ここに来るのは2回目だ。
前回は高校二年生の修学旅行の時で、自由行動の日に私のグループは私が行きたくて延暦寺に来た。
その割に肝心の延暦寺の記憶はほとんどなく、綺麗に紅葉した木の前で撮った写真だけを覚えている。それより、延暦寺に登るケーブルカーの坂本駅あたりで食べたうどんがとても美味しかったことを覚えている。うどんのつゆが透明で、関東の濃い色のうどんつゆしか知らなかった私には印象的だった。
根本中堂は改修工事中でこのような風景しか見れなかった。↓
2016年に開始して約10年かかる、とのことなので、完成するのは2年先だ。
本来はこのような感じで見えるはずだ(BIWAKO HOTELのHPより)。↓
中は撮影不可だが、屋根の修理をしているこの部分だけは写真を撮ることが出来る。
これは回廊部分の屋根。↓
延暦寺はデカい。
東塔、西塔、横川とあるが、ちゃんと見ようと思ったら軽く一日がかりになるだろう。↓
高校生の時以来だったので本当はもう少しあちこち見たかったが、駐車場に戻って、次の三井寺に向かった。
三井寺到着。大門(仁王門)。この斜めからの角度が非常に美しかった。↓
三井寺はすごくてこんな文化遺産だけを紹介するサイトがある。↓
三井の晩鐘。近江八景のひとつ。
その音色が美しくて有名な鐘はついたが、写真を撮るのを忘れてしまった。
代わりに御朱印の写真を。左が三井の晩鐘。右は比叡山延暦寺。↓
金堂。これも正面より斜めからの眺めが美しかった。↓
そしていよいよ観音堂に到着。↓
ここのご本尊で重要文化財である如意輪観音坐像は33年毎に開帳される秘仏である、とのこと。↓
今年はなんとちょうどそのご開帳の年だ。
これがそのご本尊。上の文化遺産サイトから。これでは小さくてよく見えないが。↓
首を少しだけ右側に傾げて、その右の頬に右手を添えている、
そしてその表情がなんとも柔らかく、一目惚れしてしまった。
しばらくの間、じっと見入ってしまって、ずいぶん時間が経ってしまったので、さぁそろそろ行かねば、みんなが外で待っている、と出口に向かった。
だが、出口の手前でやはりもう一度会いたくなって、しつこくまた戻ってしまったくらいだ。
こういう気持ちになったのは興福寺の阿修羅像以来ではないか。
三井寺に行く前は、正直なところ、特に何も期待していなかった。
義母が行きたいというので、では行きましょうか、という感じだったのだが、瓢箪(ひょうたん)から駒とはこういうことか。
素晴らしく美しい観音さまに、33年に一度の機会にお会いすることが出来て幸せだった。
三井寺から見る琵琶湖の眺めも美しい。↓
三井寺を出て、義父母を家まで送ってから、京都に戻り、無事レンタカーを返して新幹線で帰宅した。
京都駅で551の豚まんを買って帰りたかったが長蛇の列だったので諦めた。ネットで事前に注文を入れて、指定時間に受け取ることが出来るとありがたいのだが。
まぁ、そんなにあれもこれもと贅沢を言ってはいけない。
元気で義父母とともに、楽しく美味しく美しい旅が出来ただけで感謝である。
おわり
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