2025年5月17日
今回のミロ展@東京都美術館(上野)は彼の初期から晩年までの作品が一同に会する決定版のようなものであると同時に、ミロの星座シリーズのうち3点が同時に観れる稀な機会とのことで、これは行かねばと予約しておいた。
「私の作品は、画家によって音楽がつけられた詩のようであって欲しい」というミロの言葉があるそうだ。
以下のポスターになっている星座シリーズの絵もそうだが、たしかに楽譜のような雰囲気で音楽を感じる作品がいろいろあった。

当日は酷い雨に強風という5月とは思えない天気だった。
歩いているとミロ展の看板が出てきた。↓ 隣には先日観に行った相国寺展の看板もある。
上野は美術館や博物館の集結地だなと改めて思う。



いよいよここからは展示室だ。写真はこの後2階に行くまで撮れない。↓

ここからは、写真は撮れなかったが私が好きだった作品について。
ヤシの木のある家。↓ これは初期の作品で、この絵の茶色(出身地であるカタルーニャの大地)と青(地中海の海と空)はその後の作品の地の部分にたくさん出てくる、と、NHKの日曜美術館で慶応大学教授の松田健児さんが説明されていたが、とても緻密な絵であると同時に、茶色も青もとても美しく味わいがありずっと観ていたいと思う絵だった。

自画像。↓ ミロは出身地であるカタルーニャの首都バルセロナからパリに出た時に、まず最初に、同じスペイン人でバルセロナで学んだ、ピカソに会いに行ったそうで、その時からピカソとはずっと親交が続いたとのことだが、そのピカソが死ぬまで自らの手元に置いていたミロの作品がこの自画像なのだそうだ。

絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)。↓
彼女を愛していて幸せな気持ちなんだな、ということが伝わってくるなと感じた絵。こういう絵が手元にあって毎日眺めていたら穏やかな気持ちで生活できるのかなと思った。

オランダの室内 I (右側の絵)。↓ なんだか観ていると楽しくなってくる絵だが、これには元ネタがあり、17世紀にオランダで描かれた「リュートを弾く人」という絵をミロが自らの解釈で描いた絵とのことだ。詳細についてはこちらの解説をご参照。

やはり圧倒的な存在感だったのが、星座シリーズの3点だった。↓
写真が撮れなかったので購入したポストカードの写真を撮ってみたが、これでは実際の雰囲気が全く伝わらない。

なので、この3点については、東京都美術館の公式サイトの素晴らしい写真を以下に引用させていただいた。
星座シリーズはミロが1940年から41年にかけて描いた代表作で、戦火を逃れながら、夜や音楽、星を着想源にして全23点が描かれたものだが、現在シリーズの各作品は世界中に散らばっており、今回のように複数の作品をまとめてみられる機会は貴重なのだそうだ。


私は以下の「女と鳥」という絵が一番好きだった。↓
このコーナーは照明を極端に落としており、黒い壁を背景にした額縁と絵とのコンビネーションが素晴らしく、惚れ惚れする美しさでずっと観ていたい気分だった。
この絵にも楽譜のようなものが描かれており音楽が感じられる、という解説がNHKの日曜美術館でされており、前述の松田教授は、その音楽とは、同じスペイン・カタルーニャ出身のカザルスがしっくりするように自分は思うと、カザルスの鳥の歌にも触れながら意見を述べられていたが、言われてみると全くの同感だ。カザルスのチェロの音色は、枯れているが骨太な感じの響きで、同じカタルーニャ人としての芯の強さがミロと共通するように思う。なお、バッハの無伴奏チェロ組曲は、他の誰よりも、カザルスの演奏が私は一番好きだ。

2階に上がるとまずこの写真が飾られている。↓ マジョルカ島に作った大きなアトリエの様子。

このフロアはポスターから始まるのだが、サッカーのバルサのポスターが良かった。↓
カタルーニャと言えばバルセロナ、バルセロナと言えばバルサは欠かせない、と思う。

白地の歌(1966年)。↓ 解説によると「本作では、慎重かつ緻密な計算のもと、長さの異なる黒い線と、大きさや濃淡が異なる色の斑点が組み合わされている。ミロが1940年代に残したメモによれば、こうしたモティーフは、「歌」の歌詞と音楽であり、視覚による「音」である。「私の作品が、画家によって音楽がつけられた詩のようであってほしい」とミロは書いている。」とのことだった。
一体どういう計算なのかは理解出来なかったが、「視覚による音」という感覚はなんとなく理解できたように思う。

逃避する少女。↓
なぜこれが「逃避する少女」なのか、私には理解出来なかったが、なんとも印象的な作品で、かつ美しかった。

夜の風景。↓ 解説には1966-74年と記載されていた。なぜ8年間もかかったのか、赤い夜の風景にはどういう意味が込められているのかなどについて知りたかったが、それについては触れられておらず分からなかった。

太陽の前の人物。↓ これはとても大きな絵だった。75歳、ミロ晩年の代表作だそうだ。解説によると「ミロの造形言語の集大成のひとつである。(中略)アメリカの抽象表現主義の技法を思わせる。しかし、同時に東洋的な感性とも結びついており、日本の画僧・仙厓が丸、三角、四角で宇宙を表現した作品とも関連がある。本作にもその3つの形が見て取れる。」とのことだ。真ん中に黒い絵の具が細く垂れたようになっているところについて、日曜美術館で松田教授が、これはこの部分を描いた時にカンヴァスを立てて垂れる長さも計算したもの、と説明されていて、マジョルカの大きなアトリエがあったからこそ出来た大きな絵とのことだった。

焼かれたカンヴァス2。↓ 解説によると『「焼かれたカンヴァス」と題された5点の連作絵画のひとつ。ミロは、白いカンヴァスに勢いよく絵具を垂らし、したたらせ、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた。作品を破壊するような大腿で型碳りな手法をためらいなく用いた本作は、ミロが80歳を迎えてなお、新たな表現を追求していたことを示している。』とのことだった。晩年になってミロは有名になり自らの絵画が投機の対象とされることへの反発だったようだ。


涙の微笑。↓ 「1967年に構想を練り始め、それから6年をかけて完成させた作品。タイトルには「涙」と「微笑」という対照的な要素が並ぶが、画面内にも対照的な表現が見てとれる。上半分は手の届かない空の領域で、月や星がむき出しのカンヴァス地の上に描かれる。一方、下半分は足で踏みしめる大地が赤、黄、緑、黒で丁寧に塗られている。」というのが解説なのだが、「涙の微笑」というタイトルにどのような思いを込めてこの絵を描いたのか、ミロ自身に聞いてみたいものだ。

もともと、勉強不足でミロのことはほとんど知らなかったのだが、観に来れて良かった。夢中になってすごく一生懸命に観てしまいミロのファンになってしまった。

以前バルセロナに行った時に、サグラダ•ファミリアを始めとするアートに溢れる魅力的な街で、食べ物も美味しいので、ここにはまた来たいと強く思ったが、ミロを知ってカタルーニャに以前以上に興味が湧いてきた。今度はバルセロナ以外のカタルーニャの街にも行ってみたい。死ぬまでに絶対に再訪しなければと思う。
おわり
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